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まち見聞記

高麗川を歩き、この地を開拓した高麗人を知る イメージ

2012年06月 更新

奈良時代に高麗人を集めた郡を訪ね、自然道を満喫する

高麗川を歩き、この地を開拓した高麗人を知る

高麗川ふるさと遊歩道・高麗神社・聖天院
埼玉県坂戸市、日高市/最寄り駅:東武東上線 坂戸駅ほか

埼玉県坂戸市を流れる高麗川のほとりは、自然をそのまま残したビオトープをはじめ、さまざまな植物や生物がたくさん棲息している。約10キロの遊歩道を歩き、その後は日高市にある高麗神社へお参り。開拓の牽引者、高麗王若光(こまのこきしじゃっこう)の霊廟ではウォーキングの疲れが癒されるようなパワーを感じたのだが・・・・・・。ぜひ、気のせいかどうか確かめてほしい。

現在の埼玉県日高市や鶴ケ島市と
その周辺の一部地域は、武蔵国と呼ばれていた。

ある時期、そこに郡が設置された。
それを高麗郡(こまぐん)という。
716年(霊亀2年)5月のことだった。奈良時代のはじめのころだ。

朝鮮半島で7世紀まで栄えた高句麗(こうくり)出身の渡来人を高麗人(こまびと、こまうど)と呼ぶ。戦乱によって故国を失った高麗人を集めて設置したのが高麗郡で、1799人がこの未開の地を開拓していったといわれている。

今回は、その日高市の北東に位置する坂戸市から出発した。
坂戸市には高麗郡からその名が由来している高麗川(こまがわ)が東から西へ流れている。これは、前回の越生(おごせ)で紹介した越生梅林近くを流れる越辺川(おっぺがわ)の支流だ。
この高麗川の土手を歩く、「高麗川ふるさと遊歩道」を目指してみる。

ちなみにこの越辺川という名前にはアイヌ語由来という説もあるらしい。前回も書いたが、「越生」も読みづらいし、今回の「高麗」もまず読めない。高麗人とアイヌ、そして大和朝廷と豪族・・・・・・などと考えていくと、どんどん歴史をさかのぼり、掘り起こさねばならなくなる。それは、このハイキング特集の主旨とずれてきてしまうので、やめておこう。

東武東上線と東武越生線のターミナル駅となる坂戸駅。ちょっとモダンな駅舎だ

東武東上線と東武越生線のターミナル駅となる坂戸駅。ちょっとモダンな駅舎だ

高麗川ふるさと遊歩道へ向かう。

話を戻す。
高麗川ふるさと遊歩道として設定されているスタート地点の最寄り駅は北坂戸駅だ。だが今回は、全長約10キロの遊歩道を少しショートカットする隠された意図もあり、東武越生線との乗り換え起点駅となる坂戸駅で下車した。池袋から東武東上線急行で約45分だ。
駅北口を出ると、すぐに高麗川ふるさと遊歩道の地図が立っていた。高麗川は駅のすぐ近くを流れているわけではない。
駅から高麗川までの地図を持っていく、もしくはしっかりと下調べをしていくことが重要なポイントだ。
実はこの日、それを怠ったために駅前でおかしな方向へ歩き出してしまった。いま思えばまったくの逆方向だった。コンビニの店員さんに「高麗川への行き方」を訊いたら、「へ??」という顔をされるほど、逆方向だった。そして坂戸駅周辺の誰もが高麗川ふるさと遊歩道を知っているわけではないということを覚えておこう。

高麗川に到着。

駅から住宅街を歩いて約25分。ようやく川らしき、土手らしきところに辿り着いた。
が、ここでも、「高麗川ふるさと遊歩道」という看板が出ているわけではない。それほど大きくもない川のほとりに、けもの道があるだけだった。やや不安になり、犬を散歩している男性に道を尋ねてみた。
「そう、これが高麗川。この林の間を進むのが遊歩道。高麗神社の方角だよ。途中で川の左岸や右岸を行ったり来たりしながら行けるよ」
とのこと。正解!
うぐいすの「ケキョケキョケキョ」という声を背中に受けつつ、木が生い茂る間の道を歩き出した。

住宅街を抜けてようやく辿り着いた高麗川近くだったが、あるのはけもの道のようなもの。これが高麗川ふるさと遊歩道だった。自然を残すために整備していないのだ

住宅街を抜けてようやく辿り着いた高麗川近くだったが、あるのはけもの道のようなもの。これが高麗川ふるさと遊歩道だった。自然を残すために整備していないのだ

高麗川近くには、ずっと「まむしに注意」の看板があった。最初は、「会ってみたいものだ。出てこいマムシ」なんて思っていたけれど・・・・・・

高麗川近くには、ずっと「まむしに注意」の看板があった。最初は、「会ってみたいものだ。出てこいマムシ」なんて思っていたけれど・・・・・・

浅羽ビオトープ。カメラを抱えたご夫婦が何組かいた

浅羽ビオトープ。カメラを抱えたご夫婦が何組かいた

高麗川沿いに出たら、完全にどこかのお宅の畑を通る形に。「いいのかな?」と躊躇したけど若いご夫婦が「通れます」と言っていたからいいのだ

高麗川沿いに出たら、完全にどこかのお宅の畑を通る形に。「いいのかな?」と躊躇したけど若いご夫婦が「通れます」と言っていたからいいのだ

ほどなくして少し開けた場所に出た。

浅羽ビオトープだ。ビオトープは生物がありのままに棲んでいける場所のこと。生態系の保存ということだ。そう考えると、ここまで整備がされていないために感じさせられた不安も納得がいく。ハイキングコースとして整備してしまったらビオトープとして意味を成さなくなってしまうからだ。
それでもこの浅羽ビオトープまで来たら、カメラを抱えたご夫婦などと行き交うことも多くなった。ビオトープで見られる鳥や棲んでいる生き物を紹介する看板も立てられている(みどころ写真参照)。そしてその横には「まむしに注意」の看板も。
左手には蛙の合唱、右手には聞いたことがない鳥の声、目の前にはヒラヒラと舞う蝶々という自然に溢れた道を進んだ。

浅羽ビオトープを真っ直ぐ抜けると、舗装された道に出てしまった。左側は住宅が建ち並んでいる。高麗川は右手の林の向こう側で、見えない。どこかで右へ入るべきだったのか、と思ったが、あとで地図を見たらどうやら「高麗川ふるさと遊歩道」はこの道で正しいようだった。

しかしこの道はつまらない。自然いっぱいの中を歩いていたのに突然アスファルトの道で川も見えないなんて。なので、右手の少し低い位置にある林へと降りる細いけもの道へと入ることにした。相変わらず「まむしに注意」の看板は多いのだが、マムシに遭遇して写真が撮れたらこの記事もより臨場感が出るだろうと、いやらしい計算をしていた。

本当に細い道だった。

足で草をよけながら川の方向へ向かう。すると右側の膝くらいの高さまで生えている草むらから、「ガザザザッ」という音がした。明らかに何か生き物が蠢いている音だ。しかもこちらへ向かって。
その瞬間、走っていた。川へ向かって。何の音だったのか確認すらしなかったし、写真を撮る余裕なんてなかった。ちょっとカッコ悪い。人がいなくて良かった。

川の近くまで行くと、進むべき方向にはまたしても細い道しかない。今度はその両側に畑が広がっている。私有地だろうか。勝手に入っていいものかわからない。逡巡していると、若いご夫婦がやって来た。訊くと、その道は歩いていいらしいし、川の先へ抜けられるとのことだった。
ハイキングで道がわからなくなったら人に訊くべし。それは鉄則だ。

畑の道を抜けて、さらに小道を進んでいけば、若宮橋、万年橋、森戸橋、多和目橋といった橋があり、いくつかの堰がある。
途中で東武越生線の駅へ向かうなら、万年橋から一本松駅までが約0.9キロ、森戸橋から西大家駅までが約0.7キロ、多和目橋から川角駅までが約1.2キロだ。
「高麗川ふるさと遊歩道」は城山の方まで続いている。

「緑と水の小路」。その名の通り、細い路

「緑と水の小路」。その名の通り、細い路

「高麗神社」。木々がもりもりしている。気も溜まっているのだろう

「高麗神社」。木々がもりもりしている。気も溜まっているのだろう

「高麗神社」。国指定重要文化財の高麗家住宅。横の枝垂れ桜含め、見る価値あり

「高麗神社」。国指定重要文化財の高麗家住宅。横の枝垂れ桜含め、見る価値あり

「高麗神社」の樹齢300年の彼岸桜。その姿と雰囲気は、なんとなく仙人みたいに感じた

「高麗神社」の樹齢300年の彼岸桜。その姿と雰囲気は、なんとなく仙人みたいに感じた

高麗神社にお参りしてから
高麗王若光のお墓がある聖天院へ

「高麗川ふるさと遊歩道」は始点から終点まで坂戸市内にある。その南側が日高市になる。城山の南西をしばらく行くと、この地を開拓した高麗人を偲んだ霊廟、高麗神社がある。
高麗郡で開拓の指導者的立場であった若光がのちに王姓を認められ、高麗王若光(こまのこきしじゃっこう)となる。ここ高麗神社の宮司は代々若光の子孫が務め、現在は60代目となっている。
正面本殿前の扁額には、「高麗神社」とある。だが、よく見てみると「高」と「麗」の間に小さな「句」の字が。「ここは高句麗の神社である」という主張なのだろうか。
社務所の裏には国指定重要文化財の高麗家住宅が保存されている。茅葺きの入母屋造りで、江戸時代の前半、1600年代に建てられてたものらしい。中には入れないが、外から覗くことはできる。近くには名木の枝垂れ桜が伸びている。3月末の満開時には、茅葺き屋根との対比もありさぞや美しいことだろう。
桜といえば、本殿の手前にも樹齢300年を超す彼岸桜が圧倒的な存在感でみごとな姿を見せてくれている。こちらは4月初旬が満開らしい。
ちなみにこの神社は出世明神ともいわれている。参拝すると出世するらしい。ということはきっといろいろな原稿料が上がっていくということだろうな。ふふふ。

高麗神社の正面参道へと戻る途中で
右に曲がり真っ直ぐ進む。

ほどなくして高麗王若光の菩提寺である聖天院が見えてくる。
751年に創建され若光の守護仏聖天尊を本尊としていたが、1345年に真言宗に改宗され本尊も変わった。その際、聖天尊は別壇に配祀された。現在の本堂は2000年に落成され、さらに西の山腹には在日韓民族無縁仏慰霊塔などが建てられている。
中門から先は大人300円小人150円の拝観料が必要。この中門の辺りに旧本堂があったらしい。本堂がそこまで新しいものだとは思わなかったのだが、山腹の綺麗な建物は下から見た時点で期待が膨らむし、階段を昇っていけば町を見下ろせる見晴らしのよさがなんとも気持ちいい。心なしかここまで歩いた疲れが取れたような気がした。
鐘楼や雪山(石灰岩)、慰霊塔、そして高麗王若光の王廟などをゆったりと見られた。

そして冒頭書いたように、この地域に高麗郡が置かれたのは716年のこと。ということは、2016年は高麗郡建郡から1300年。高麗神社でもさまざまな企画・イベントを用意しているようだ。それまでに桜を見に来るチャンスは何度か訪れる。
出世するたびに訪れることにしようか。 写真・文/はるやまひろぶみ

「聖天院」。新しい本堂だけど、下から見ただけで、「おおっ」と声が漏れる。迫力あり。国重要文化財も多数あるという

「聖天院」。新しい本堂だけど、下から見ただけで、「おおっ」と声が漏れる。迫力あり。国重要文化財も多数あるという

「聖天院」の本堂

「聖天院」の本堂

見どころを写真で紹介

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