1. 昭和の栃木。遊び・食・世相

~あの日の自分に帰る旅~

昭和の遊び・食・世相

2014年6月 更新

昭和の栃木。遊び・食・世相

明治時代の蔵が残る街、栃木市。商人がたくさん暮らしていたこの町はどのように発展してきたのだろうか。五十嵐さんの子ども時代も振り返ってみた。

昭和の遊び

五十嵐さんのあのころ・遊び

子育てで叶わなかった旅行
今後はもっとスケッチ旅へ行きたい

私が生まれたのは世田谷区でした。その後、3歳くらいで大田区の田園調布に引っ越しました。そのころは家族で神奈川県藤沢市の鵠沼海岸へ旅行に行った記憶があります。父の仕事の関係で、その後、中野区、武蔵野市、立川市などへ引っ越しを重ね、しかも習い事をしていたので、あまり頻繁に家族旅行は行っていないですね。

植物にも詳しい五十嵐さん。栃の実の調理法に興味あり

植物にも詳しい五十嵐さん。栃の実の調理法に興味あり

3歳のころからバイオリンを習わされたんです。「習わされた」という言い方はきつく感じられるかもしれませんが、本当にそうなんです。母が教育熱心だったのか、姉はピアノを習っていました。姉はそのまま音大へと進学しましたね。

私は姉と違い、高校1年生のときに、「もうピアノをやめる」と宣言しました。1日の練習量があと2~3時間足りないと言われたのがきっかけでしたね。母も「仕方ない」という感じでした。
その後、美術部に入り、なんとなく描いた絵が褒められたりして、美術の世界にのめり込んでいきました。
そのまま武蔵野美術大学へと進学したんです。将来は絵を描いて食べていくのかな、とも思っていたのですが、大学卒業後まもなく結婚してしまい、宮崎へと引っ越しをしました。

息子が3人いるのですが、三男が生まれたころに夫が亡くなってしまったのです。
そこからはひとりで子育てをしていたので、旅行からはさらに遠ざかりましたね。
いまは子どもたちにも絵を教えているので、外へ出てスケッチをすることも大切だと教えています。
今回は日本庭園と洋館などの和洋折衷の景色や、明治時代から残る石蔵など、小江戸の町並みを歩いて、スケッチもできて、とても楽しめました。
息子たちも独立したので、今後はいままで以上に「電車の旅」をしてみようと思っています。

蔵の街遊覧船で頑張る船頭さん。画・五十嵐真知子さん

蔵の街遊覧船で頑張る船頭さん。画・五十嵐真知子さん

太平山からの景色。画・五十嵐真知子さん

太平山からの景色。画・五十嵐真知子さん

昭和の食

栃木市のあのころ・食

味噌造りが盛んな例幣使街道

栃木県の名産品は、そば、イチゴなどがあり、宇都宮餃子や佐野ラーメンなどの名物も広く知られている。ポテトフライやポテト入り焼きそばなどのB級グルメも人気がある。日光へ行けば湯波など、また新たな名物が楽しめる。

創業天明元年の文字が暖簾に揺れる「油伝味噌」

創業天明元年の文字が暖簾に揺れる「油伝味噌」

しかし、これらは栃木県の特定の地域の名物グルメとして知られているので、栃木市の名物というと、それはまた違うかもしれない。栃木市でもジャガイモ入り焼きそばというB級グルメは食べられるが、これは足利市などのポテト入り焼きそばとさほど変わらない。
イチゴ農園や大平ぶどう団地などのフルーツを季節ごとにいただくのもいいかもしれない。
また、栃木市出流町には、出流山満願寺にある不動の滝の霊水に約10日間新そばの実をつけ、その後寒風にさらして作られた幻のそばといわれる「寒晒し蕎麦」がある。1月下旬から限定1万食を限られた店で提供している。

1年中食べられる栃木市ならではのグルメといえば、味噌がある。しかも歴史を感じながらいただける。
京都と日光を結ぶ例幣使街道にあるのが、天明年間創業の味噌屋「油伝味噌」だ。
明治時代から使っている木製樽で現在も味噌を作り続けている。ここではその味噌を使った田楽が食べられるので、ぜひご賞味あれ。
近くにはヤマサ味噌もある。

明治時代から使われている味噌樽

明治時代から使われている味噌樽

「油伝味噌」の田楽は盛り合わせがおすすめ

「油伝味噌」の田楽は盛り合わせがおすすめ

昭和の世相

栃木市のあのころ・世相

小江戸・とちぎといわれる蔵の街には
商都として繁栄した歴史があった

以前は栃木市の中心部を流れる巴波川(うずまがわ)も氾濫を重ねていたが、16世紀後半に住みついた人々がそれに負けずに街づくりをはじめたといわれている。

渡良瀬川と合流して荒川、利根川へと流れていく巴波川を使い、江戸時代には河川舟運で農産物や木材などの積み出し地としてみごとに栄えていった。江戸との交易で発展をはじめたのは徳川中期ころの話だ。

蔵が残る町、栃木市

蔵が残る町、栃木市

蔵造りの商家が建ち並ぶ粋な商都となり、明治の廃藩置県では下野国南部に栃木県が、下野国北部に宇都宮県が置かれる。
そして1873年(明治6年)には栃木県と宇都宮県が合併し、新たに栃木県が誕生。県庁所在地が栃木町(現在の栃木市)に置かれることとなった。巴波川に最初に鯉が放流されたのは、それを記念してのことだったといわれている。
このころから栃木県の政治経済文化の中心となり、さらに商都として繁栄を見せていく。それは1884年(明治17年)に県庁所在地が宇都宮市に移転したのちも続いた。

1937年(昭和12年)には市制を施行し、1954年(昭和29年)には近隣の4つの村を、1957年(昭和32年)にはさらにひとつの村を合併して市のエリアを拡大。現在でも栃木県南部の中核都市として発展を続けている。

そして貴重な建造物の数々は文化的遺産として残され、明治時代をしのばせる景観が多くの観光客の目を楽しませている。
当時の豪商の屋敷などが貴重な宝物館や資料館となっていて、いくつかまわるとさまざまな歴史を学ぶこともできる。

河川舟運で商業が発達した栃木市。川に面した荷揚げ場も残っている

河川舟運で商業が発達した栃木市。川に面した荷揚げ場も残っている

旧家の「岡田歴史館」では酒屋や理髪店など、古い商店が残っている

旧家の「岡田歴史館」では酒屋や理髪店など、古い商店が残っている

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