1. 昭和の湯西川温泉。遊び・食・世相

~あの日の自分に帰る旅~

昭和の遊び・食・世相

2014年2月 更新

昭和の湯西川温泉。遊び・食・世相

石川美恵子さんの旅の思い出が残る、平家落人伝説が残る湯西川温泉郷。果たしてどのような経緯を経て温泉郷の観光名所となったのだろうか。

昭和の世相

湯西川温泉のあのころ・遊び

約800年前に祖先が開き、
約400年前にその子孫がルーツを知る

1185年、壇ノ浦での源平の戦いに敗れた平家。そのなかの平清盛の嫡男である平重盛の六男、平忠実(平忠房)は家臣とともに関東へ下る。現在の栃木県まで来て、川治の山に隠れ住んだ。
静かに暮らしを整えていたころ、一族の者が男の子を出産した。苦しい日々のなかでの喜ばしい出来事に祝辞ののぼりを揚げたところ、それが源氏の目に留まり、一族はまたしてもその地を追われることとなった。

さらに渓谷を敗走して辿り着いたのが、湯西川であった。
以来湯西川では、この地に人が住んでいることを周囲に悟られることのないよう、「鯉のぼりを揚げない」「ニワトリを飼わない」「米のとぎ汁を川に流さない」などの風習が残されている。

ある日、平忠房が狩りに出たときに雪が降り積もらない不思議な場所を見つける。そこが川原にこんこんと湧き出る温泉だった。
しかし一族は温泉を活用するのではなく、子孫もいつか温泉を発見し掘り起こすだろうことを予想し、その場所に馬の乗鞍や金銀財宝を埋めた。これが平家塚だ。

それから約400年後の1573年、忠房の子孫が温泉を発見し、同時に多数の財宝も掘り起こし、祖先の心遣いに感動したという。

江戸時代の「本家伴久」

その後、良質な温泉が湧き出る村落として知られるようになり、1666年には栃木県内でも最初期の創業といわれる湯治宿「伴久旅館」が誕生した。これが現在の「本家伴久」となる。

明治、大正、昭和と操業を続ける「本家伴久」をはじめ、現在では多くの温泉旅館が営業をする観光地として広く認知された湯西川温泉。
毎年6月には「平家大祭」が、1~3月には「かまくら祭」が催され、たくさんの観光客で町が活気づいている。
そして1994年(平成6年)にはついに鎌倉から源頼朝会を招待し、源平の和睦調印式が行われた。
「平家の里」での調印式のほか、「本家伴久」のかずら橋を源平の両氏が手を取って渡り「平家隠れ館」での宴席が設けられた。
800年の時を超え、かずら橋が源平の縁を結んだ記念の日となったわけだ。

明治時代の川床温泉「藤鞍の湯」

昭和初期の「本家伴久」

昭和の食

栃木県のあのころ・食

石川美恵子さんが語る栃木県の思い出

私の実家は栃木県鹿沼市の楡木というところなんです。だから東武線の区間快速はとても慣れ親しんだ電車です。いまでも実家に帰るときは北千住からこの電車に乗っています。高校の通学でこの電車を使っていた友人も多いですね。

東武線の区間快速

もう何年も前になりますけど、檜枝岐村の歌舞伎を観に行こうと思って旅館に問い合わせをしたら、どこも空き室がなかったんです。人気の高いお祭り行事ですから、その時期は観光客も多いんですね。
旅館の人が「どちらから来るんですか?」と聞くので「楡木です」と言ったら、「それなら朝一番で電車で来たほうがいいですよ! 近いですよ!」と言われてしまいました(笑)。

新鹿沼から今市に向かっていくと、段々と山間の町という様相が濃くなってきますね。そういう土地ではお米が作れなくて蕎麦を作るところが多いです。檜枝岐も湯西川も地元産のお蕎麦がおいしいですね。
私も子どものころからお蕎麦はよく食べていました。そばがきもよく食卓に上がっていましたね。

特急スペーシアの個室は今回がはじめて

文英さんは電車に乗っての旅行も久しぶり

昭和の世相

湯西川温泉のあのころ・世相

湯西川温泉の「平家大祭」も夫婦で見たい

湯西川温泉は檀家の人たちと一緒に何度か旅行に来ました。

旅行は大好きな美恵子さん

今回も買ったのですが、小さなお店で売られているとち餅がとてもおいしかったですね。とちの実が入ったお餅なんですけど、そのお店は毎朝お母さんがついているらしいですよ。

山道でもスタスタ歩く健脚の美恵子さんは今回の雪道も軽快に歩いていた

紅葉の季節もとても綺麗でいいところだと思います。
今度は6月の「平家大祭」も見に来たいです。
またお父さんとふたりで来られたら嬉しいですね。

女性だけの旅も楽しいけど、文英さんとのふたり旅も楽しいとのこと

文「お寺の状況を見て、またふたりで旅行に行きたいですね」

ページトップへ