1. 昭和の川治温泉。遊び・食・世相

~あの日の自分に帰る旅~

昭和の遊び・食・世相

2013年12月 更新

昭和の川治温泉。遊び・食・世相

北海道出身の田中護さんはどんな少年・青年時代を過ごしてきたのだろうか。そしてその時代の川治温泉はどんな町だったのだろうか。

昭和の遊び

川治温泉のあのころ・遊び

川治温泉の雪景色も見に来たい

子どもと一緒に川治温泉に来たときは、男鹿川で岩魚のつかみ取りをやりましたね。
社員旅行できたときは温泉街に遊技場みたいなものもあったと思うんですけどね。またそういう温泉街らしい遊び場ができるといいですね。

まだ若かったころの社員旅行。右が田中さん。「温泉のよさはわかっていたのかなあ」

北海道にいたころも温泉には行きましたよ。ある温泉で隣の宿の露天風呂に入って怒られた思い出もあります。若かったんです・・・・・・。

雪には慣れているので、今度は雪化粧をした川治温泉にも来たいと思います。

テニスをやって、温泉に遊びに行っていた大学時代。右が田中さん

昭和の食

川治温泉(と北海道)のあのころ・食

田中護さんが語る食の思い出

北海道では料理の隠し味に砂糖を入れることが多いんです。実は道民の多くは甘党だと思います。ただ、自分が甘党だということは、ほかの土地へ行ってみないと気づかないかもしれません。
いまだに東京では驚かれるのですが、北海道の赤飯は小豆を入れないんです。
そして甘いんです。
小豆を入れないけど、「赤飯」ですから当然ご飯は赤い。それは食紅の赤なんですね。そして小豆っぽく見えるのは、甘納豆なんです。甘納豆を入れて蒸らすので、当然甘くなるわけです。
ちなみにこれは私の実家に限ったことかもしれませんが、うちではカレーにも砂糖を入れて作っていましたね。
とにかく料理には砂糖が必需品なんです。

川治温泉で懐かしい味に再会できた田中護さん

ただ甘党といっても、今回「甘味処 鹿の子」で食べた「クリーム白玉あんみつ」についてきた黒蜜は北海道ではスタンダードではなかったですね。まあもともとそんなにあんみつを食べる機会はありませんけど、白玉あんみつに黒蜜をかけて食べたのは初体験でした。

北海道にも温泉はあるので、当然温泉まんじゅうもあります。それも昔は甘かったような記憶がありますね。
今回「大黒屋製菓店」で買った温泉まんじゅうは甘さ控えめでおいしかったです。以前も買っていたので懐かしかったですね。
現在は北海道の温泉まんじゅうも同じくらいの甘さになっていると思います。それはやはり道外からのお客さんの味覚に合わせたんじゃないでしょうかね。

北海道といえば味噌ラーメンですが、この味噌も甘めなんです。「和風らぁめん いかり」で食べた「味噌らぁめん」はおいしかったです。ただ北海道の味噌ラーメンはもっと甘めなんです。

岩魚の塩焼きは昔来たときを思い出しました。養殖でも味は変わらずおいしいですね。

やはり自分の味覚は親に作られたもの。「甘いもの好き、というか、隠し味に砂糖はほしい」

砂糖以外の好物は、栗。夕食に出た栗を大切に食べていたのが印象的だった

昭和の世相

川治温泉のあのころ・世相

温泉バスツアーブームに左右された栄枯盛衰の歴史

川治温泉の歴史は290年ほどさかのぼることになるが、この項ではそこまでの話ではなく、田中さんが通っていた昭和の様子を簡単に伝える。
今回ご夫婦が宿泊した「らんりょう」の前身は川治温泉でもっとも古く、開泉したころから湯宿として営業していたという。

昭和初期から会津西街道を生活道路として使っていた人々が立ち寄る湯治場として重宝されていた川治温泉。「らんりょう」の前身である「川治温泉ホテル」も多くの人で賑わっていた。特に男鹿川の川岸、もっとも源泉に近いところにある露天風呂は人々の話題を集めていたという。

昭和初期の川治温泉街全体。写真下のほうに会津西街道が通っていた

観光客が訪れるようになったのは、昭和30年前後のことだった。
当時はまだ野岩鉄道が通っておらず、会津西街道を使ってようやくバスが通る程度だった。
五十里ダムが建設される直前の1955年(昭和30年)には、当時人気もうなぎ登りだったプロレスラー、力道山も訪れている。
力道山が川治温泉ホテルに泊まったことを知った学校の先生が、川治村の子どもたちを集めて記念撮影を行った。その写真にはしっかりと「川治温泉ホテル」の名が見える。

余談だが、1958年(昭和33年)に「川治温泉ホテル」の本館の一部は火災で焼失してしまった。

昭和初期の「会津温泉ホテル」。川岸の露天風呂へ降りる階段が見える

昭和30年代の終わりから昭和40年代になると、東京からの温泉バスツアーがちょっとしたブームになり、多くの人が川治温泉を訪れるようになる。
温泉街も土産物屋や食堂が軒を連ねて営業し、観光地としての認知度が高まっていった。1978年(昭和53年)、まさに田中さんがはじめて社員旅行で訪れた年の前後は最盛期だったといえる。
温泉へ行って温泉街をブラブラ散歩してお土産を買い、ホテルではなく町で遊んで、ホテルで宴会をする。そんな団体ツアーがたくさん来ていた時代だ。

しかし、1980年(昭和55年)を過ぎたあたりから、会津若松の東山温泉や芦ノ牧温泉の人気が上昇。同時期に川治温泉で大規模なホテル火災があったことも影響しているのかもしれない。
その後バスツアーも少なくなってしまう。

1986年(昭和61年)に野岩鉄道が開業するが、少しずつ落ちていく客足に歯止めは効かなかった。さらに1988年(昭和63年)ごろにバスツアーで盛んに利用されていた五十里湖観光センターが閉鎖、なくなってしまう。これを機に、さらに観光客は減っていってしまう。
温泉街の店も店主の高齢化などの要因が重なり、閉店してしまうところが増えてきたのだった。

しかし、今回紹介した「和風らぁめん いかり」「甘味処 鹿の子」は20年以上頑張っているし、創業から60年近くコロッケを作り続けて人気店になっている「坂文精肉店」など、元気な店があることも事実。そして現在も温泉を楽しみに川治を訪れるお客さんは確実にいる。
最盛期には届かないが、お客さんは確実に来ているのだ。
ホテルの経営陣が変わったり、県外の大規模リゾート会社がホテルを買い取ったりという動きもある。
古くから川治に暮らす人や、老舗ホテルのスタッフさんたちは、「それで川治温泉がいい方向に活気づくのなら」という期待も持っているという。

昔からあるコロッケや温泉まんじゅうをなくすことなく、新しい風を吹き込んで、活気ある川治温泉街となる日は近いかもしれない。

力道山と川治村の子どもたち。後ろが「川治温泉ホテル」。この写真は「かわじいふるさとの駅」にも飾られている

ページトップへ