両毛の歴史を楽しんだり、グルメを堪能しながら観光名所を巡る両毛の観光情報誌

[2014年8月 更新]

桐生はいかにして織物の街になったのか

「織都」とも呼ばれる桐生と織物の関係を知ろう。

桐生はいかにして織物の街になったのか

桐生で織物が始まったのは今から1300年前!

「織都」別名を持つことからもわかるように、桐生と織物の関係は深い。今も街を歩けば、織物工場の象徴ともいえるのこぎり屋根の建物に出会うことは珍しくないし、絹撚記念館をはじめとして、往時を偲ばせる重厚な近代建造物も現存している。
桐生で織物が始まったのは今から1300年ほど前といわれており、714年には絹織物を朝廷に献上したという記録が残っている。もともと麻から布を作る技術を持っていたこの地に、大陸から養蚕の技術が伝わったことが、桐生に織物が根付いたきっかけとされている。蚕のエサとなる桑の生育に適した土壌だったことも理由のひとつといえるだろう。
時代は下り、関ヶ原の戦いにおいてはわずか1日で徳川家康に2400もの旗絹を織って献上したという逸話も伝わっている。このことから桐生は後に徳川家の直轄領となり、絹織物の街として大きく発展していくことになったのである。
しかし当時、絹織物の一大生産地といえば京都の西陣。桐生は西陣に居並ぶ産地となるべく積極的に西陣の技術を導入し、やがては「西の西陣、東の桐生」と呼ばれるまでに成長することになった。
その後も「八丁撚糸機」の発明など、独自の技術革新によって生産量は増大、明治に入るといち早くジャガード機と呼ばれる最新の織機を輸入するなどして近代化に成功、大正期には日本で最初に人絹糸を用いた文化帯を発売した。太平洋戦争後の復活も早く、高度経済成長には輸出によって日本経済をささえて現在に至っている。
1977年(昭和52年)には、お召織りをはじめとする桐生の7つの技法による織物が伝統工芸品に指定され、2007年(平成19年)には桐生織物協同組合が地域団体商標を取得し「メイドイン桐生」を内外にアピールできるようになった。
今日、桐生織は着物はもちろん、浴衣帯やドレス、ネクタイ、インテリアなど、和洋装を問わずさまざまなジャンルで利用されている。

桐生の街へは東武鉄道の特急りょうもうが最適

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桐生には今ものこぎり屋根の工場がいくつも残る

桐生には今ものこぎり屋根の工場がいくつも残る

桐生の織物生産量を飛躍的に高めることになったジャガード機

桐生の織物生産量を飛躍的に高めることになったジャガード機

織物記念館内には美しい桐生織が数多く展示されている
桐生市のゆるキャラ「キノピー」。モチーフはもちろんのこぎり屋根の工場だ

スポットデータ

桐生織物記念館

【桐生織物記念館】
住所:群馬県桐生市永楽町6-6
TEL:0277-43-7272
営業時間:10:00~17:00
定休日:毎月最終週の土日、8月13~16日、12月29日~1月3日
入館料:無料
●東武桐生線新桐生駅より市営の「おりひめバス」で約20分。本町四丁目バス停下車徒歩約5分。または新桐生駅よりタクシーで約15分。