日光の歴史を楽しんだり、温泉やグルメを堪能しながら観光名所を巡る日光の観光情報誌

[2014年4月 更新]

「そばがき」から「そば切り」へ

蕎麦はいつどこで生まれ、どう発展していったのか。
平安時代には「まずい」と貴族にそっぽを向かれていた「蕎麦」。
それが時代を経て、江戸時代には庶民を虜にする食べ物に。
日本の蕎麦の逆転ストーリーを追ってみよう。
そして蕎麦のメッカ・日光の蕎麦事情も知っておこう。

「そばがき」から「そば切り」へ

「そばがき」から「そば切り」へ。
「飢饉対策食」から「グルメ食」へ。
 蕎麦の歴史の歴史を紐解く

粒のまま食べられていた、縄文時代から平安時代まで

蕎麦の原産地は、諸説様々だが、中国西南部の雲貴高原あたりではないかという説が有力だ。日本で栽培が始まったのはいつかというと、高知県の佐川町では9000年以上前(縄文時代)の遺跡から蕎麦の花粉がみつかっている。

蕎麦は、育てるのに比較的手間が掛からない。種まきをしてから2~3ヶ月で収穫できる上、日照りや冷涼な気候に強く、痩せた土地でもよく育つ。それで大昔は飢饉対策の非常食として扱われていたようだ。蕎麦が日本の文献に出てきたのは「続日本書記」(7~8世紀)の中、元正天皇の「勧農の詔」で、「救荒作物」として取り上げられている。

しかしどうやら当時は粒のまま食べられていたらしい。主食にはなり得なかった。味のほうも美味しいとはとてもいいがたく、平安時代の貴族やゆとりのある僧侶の間では敬遠されていたらしい。

鎌倉時代には「そばがき」へ

鎌倉時代になり、中国から挽き臼が伝来してから、小麦と共に蕎麦は、やっと美味しく調理されるようになり、盛んに食べられるようになっていく。

が、その頃はまだ、今のように、今のように細長く切って食べるものではなかった。蕎麦屋にある「そばがき」を思い浮かべて欲しい。あれがそもそもの食べられ方だったのだ。お湯を掛けて、蕎麦がねっとりするまでかき混ぜて食べていたのだ。もちろん焼いて「お焼き」にもなり、汁物の具材として「つみすいとん」や「つみれ」にもなり、また丸めて「そば団子」に、餡を入れて「そば饅頭」にもなって…、とバリエーションはかなりあった。

蕎麦粉をお湯を入れて練ったものが、そばがき。※「志おや」のそばがき

蕎麦粉をお湯を入れて練ったものが、そばがき。
※「志おや」のそばがき

江戸時代からやっと、麺状に

16世紀になると、やっと「ソハキリ(そば切り)」の名前で、現在の細い麺状のものが文献に登場する。やがて「蕎麦」といえば「そば切り」をさすほどに、麺にして食べることがポピュラーになっていった。そしてどうやら、茹でずに蒸していたのが始まりのようだ。


蕎麦屋が生まれたのも江戸時代だ。そば切りが生まれた頃は、寺院や茶席で食されていたが、1584年大阪築城された年に、和泉屋という菓子屋が蕎麦屋を始めた。その地が築城に使う砂を置く土地だったので「砂場」という愛称がつき、やがて屋号となったのだという。その後この店は江戸城を作る際に、共に江戸に移転している。

また信州から来て江戸で生活をする行商人の清右衛門が1789年、「信州更級蕎麦処」を出店した。信州から持ってきた蕎麦の実の中心のみを挽いた、白い蕎麦で大ヒットしたという。

それから江戸の各所で蕎麦屋が生まれ、「信州蕎麦」に対し、蕎麦の実の甘皮を入れた薄緑色の蕎麦「藪蕎麦」を出す店も出た。

こうして蕎麦の三大暖簾といわれる「砂場」「更級」「薮」が生まれ、蕎麦が庶民の間で広く広まっていったのだ。

さらに晦日に食べる「晦日蕎麦」や、大晦日に食べる「年越し蕎麦」を食べる習慣、引っ越しの際の「引っ越し蕎麦」の習慣も庶民の間で根付いていった。かつて救荒食で、その味はグルメの貴族達をがっかりさせた蕎麦。それが長い長い年月を経て、道具を手に入れ、江戸に住まう人々の間でポピュラーな食べ物になり、さらに縁起物のポジションまで獲得していったのである。

そば切りが登場した江戸時代。最初は蒸して食べていた。※「石臼挽きそば 古代村」の蒸し蕎麦

そば切りが登場した江戸時代。最初は蒸して食べていた。
※「石臼挽きそば 古代村」の蒸し蕎麦

つなぎに工夫がされ、麺はだんだん細くなっていく。※「石臼挽きそば 古代村」のせいろ蕎麦

つなぎに工夫がされ、麺はだんだん細くなっていく。
※「石臼挽きそば 古代村」のせいろ蕎麦

「蒸し蕎麦」から「茹で蕎麦」に変わったことで、蕎麦から茹で汁に栄養素が抜け出してしまうことに。茹で汁である「蕎麦湯」を飲んで栄養素を逃さないのが蕎麦食いのお約束だ。※「石臼挽きそば 古代村」の蕎麦湯

「蒸し蕎麦」から「茹で蕎麦」に変わったことで、蕎麦から茹で汁に栄養素が抜け出してしまうことに。茹で汁である「蕎麦湯」を飲んで栄養素を逃さないのが蕎麦食いのお約束だ。
※「石臼挽きそば 古代村」の蕎麦湯

日光においての蕎麦

さて日光と蕎麦の歴史はどうだろう。

日光は今市など、土地が痩せていたので、米を作るには適していなかった。そのため、蕎麦が盛んに作られていた。もちろん各家庭で収穫し、挽いて食事にしていたわけだが…。

輪王寺ほか多くの寺があるため、当然僧侶の間からより美味しい蕎麦調理方法が生まれ、発達してきたのは間違いない。また参詣者のために、蕎麦を出す店が出来ていったのだろう。

また山々から湧き出る美味しい水も、良い蕎麦を作る大きな要因となった。
昭和6年の文献に、小説家・田山花袋が,日光山内蕎麦はどこの蕎麦より美味い、と書き記している。

平成25年に「日光あおい蕎麦」デビュー!

さて最新の日光蕎麦情報がある。昨年(平成25年)11月に、新しい蕎麦「日光あおい蕎麦」がデビューしたのだ。これは在来種の日光産秋の新そばを早刈りしたもの。通常のそばより青みが強く、香りが良い。

日光市内のそば店約100店舗が加盟する「日光手打ちそばの会」が完成させたもので、ブランド化を目指している。11月中旬~12月中旬までの期間限定そばで、現在のところ食べられるのは、
●やぶ定(今市)日光市今市639-10
●並木そば(今市)日光市今市117
●さくらい(今市)日光市文挟町425-3
●観世音そば下の家(今市)日光市岩崎1032-5
●小代行川庵(今市)日光市小代371
●林屋(日光)日光市安川町5-24
●朝日屋(藤原)日光市川治温泉高原53-3
となっている。
新しもの好きの人は、是非チャレンジしてみて欲しい。

蕎麦の栄養価

さて最後になったが、蕎麦の栄養価とはどんなものなのだろう。

実は、蕎麦には米や大豆よりも多くタンパク質が含まれているのだそうだ。またポリフェノールの一部であるルチンがたっぷりと含まれ、毛細血管を強化してくれるし、老化防止パワーを発揮してくれる、というのがありがたい。そのほかビタミンB群、ビタミンEなど健康を保つのに嬉しい栄養素が含まれている。

そば湯を飲めば、蕎麦から溶け出した鉄やカリウムなども補充できる。長い年月の間に洗練されて美味しくなっていった健康食・蕎麦を今こそ、おおいに味わいたい。

しかも蕎麦の名産地・日光で、本物の味を…。


-参考サイト-
JB PRESS「中国4000年より深い「そば」の歴史9000年」
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/29463
そば総合情報サイト そばなび
http://misumaru.net/2009/03/history.html
蕎麦屋さんに行こう!
http://www.filthy-rich.net/history/sunaba.html

蕎麦は健康食品として注目される時代に。※「龍頭之茶屋」の売店で販売されている蕎麦

蕎麦は健康食品として注目される時代に。
※「龍頭之茶屋」の売店で販売されている蕎麦