日光の歴史を楽しんだり、温泉やグルメを堪能しながら観光名所を巡る日光の観光情報誌

[2013年9月 更新]

山岳信仰からはじまった日光の歴史

勝道上人が開いた日光山。高僧も数多く訪れ、鎌倉幕府の庇護のもと、大きな発展を遂げていく。
「日光山輪王寺」「日光東照宮」「日光二荒山神社」の二社一寺が生まれた背景とは?

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知っているようで知らない
知れば知るほど奥深い日光の歴史

栃木県の西北部に位置する日光は、日本でも有数の観光地。
世界遺産にも登録されている日光の社寺(日光東照宮、日光二荒山神社、日光山輪王寺)をはじめ、いろは坂、中禅寺湖、華厳の滝、戦場ヶ原など、人間が生み出した美しさと自然が生み出した美しさが競演する風光明媚な観光地だ。
そんな日光のことをさらにもっと知るためにも、まずは歴史から追っていこう。

東武日光線の東武日光駅

日光の歴史は山岳信仰からはじまった

日光の歴史は古く、766年(天平神護2年)に勝道上人が男体山の山麓に四本竜寺を建立したのが起源だといわれている。上人が7歳だったころ、夢に現れた明星天子が残していった「仏の道を学び、日光山を開け」というお告げに導かれてのことだったという。
上人は16年の歳月を経てようやく男体山の山頂を極め、その後も中腹に神宮寺(後の中禅寺)、山頂に二荒山神社奥宮を建立し、日光は山岳信仰の拠点となった。

こうして日光は、関東全域からの信仰を得ることとなり、たくさんの修験僧が入山するようになる。徐々に整備も進められ、弘法大師空海や慈覚大師円仁などの高僧たちも来山したと伝えられている。

中世に入ると、山岳信仰の上に神仏習合が加わり、「男体山=男体権現=千手観音」、「女峰山=女体権現=阿弥陀如来」、「太郎山=太郎権現=馬頭観音」という日光三所権現信仰と呼ばれる独特の宗教形態が広まっていったのだ。

千手ヶ浜から見た中禅寺湖と男体山

日光開山の祖、勝道上人の像

政治的な影響を受け発展してきた日光

その後、日光は幾度かの政治的な節目を迎えることになる。

まず、鎌倉幕府によってはじめて政治の中心が関東に置かれるようになったことだ。
日光は、武家や豪族たちの信仰の対象となり、徐々に政治との係わりを持つようになっていった。ときに政治に利用されながらも、日光は鎌倉幕府の庇護のもと、大きな発展を遂げたのだ。

日光の歴史でもっとも画期的な節目となったのは、1617年(元和3年)、徳川幕府によって初代将軍・徳川家康を神格化した東照大権現が鎮座されたことだ。
これまで山岳信仰の聖地だった日光が、家康や家光の霊廟を祀ったことで、幕府直轄の地となった。

ちなみに、日光という地名の由来には諸説あるが、男体山の古称である二荒山の「ふたら」を「にこう」と音読みし、日光という文字をあてたとされる説が有力だ。
いつからこの地名が使われていたかについては定かではないが、記録上に日光の名が見られるようになったのは鎌倉時代以降のようだ。

その日光が、幕末以降、変革を余儀なくされていくことになる。

日光山輪王寺