会津の歴史を楽しんだり、温泉やグルメを堪能しながら観光名所を巡る会津の観光情報誌

[2014年1月 更新]

狩りをして生きる「マタギ」という人々

「マタギ」。熊や鹿、兎などを狩って生活する人々のことである。東北、北海道に多く、なかでも青森と秋田がよく知られている。しかし、南会津にもマタギをしていた集落はたくさんあった。

狩りをして生きる「マタギ」という人々イメージ

熊や鹿を狩って生活する人々

雪深い山奥の山村で暮らす人々は、自給自足の生活をしていた。山に囲まれ日照時間が短いエリアでは米を作るのは難しかったが、それでも蕎麦の実や野菜を作り、夏から秋にはたくさんの収穫物で五穀豊穣を祝っていた。
雪が地面を覆い尽くす時季になると、山へ入り狩りがはじまる。動物を狩り、その肉を保存しながら食すのだ。

「マタギ」。
その狩りをする人々のことである。
東北、北海道に多く、なかでも青森と秋田がよく知られている。しかし、南会津にもマタギをしていた集落はたくさんあった。

南会津町の檜枝岐村には山人(やもうど)=マタギの資料も展示されている

檜枝岐村の「民宿 駒口」で提供される熊肉を使った料理。ご主人は山人の伝統を後世に伝えようと、現在も狩りをしている

集団で行う狩りは、生きるためのもの

マタギは夏のうちに森のなかにマタギ小屋を建てておき、冬はそこに籠もり狩りを行っていた。食料などもあらかじめ用意しておき、数日間暮らすのだ。簡易な小屋なので、翌年にはまた新たな小屋を作る必要があった。もちろん寒さが厳しい環境である。
狩りは集団で行う。山へ入り、射手や全体を見て指示を出す人、熊(獲物)を追いつめる人など、役割は細かく決まっていた。
おもな方法は、熊を谷から尾根へと追い立て、先回りしていた射手が上から撃つ「巻き狩り」だった。勢子(セコ)と呼ばれる人が、下から大声を出して熊を上へと登らせていくのだ。
ほかには、冬眠している熊の穴を狙う「穴熊狩り」などがあったという。
仕留めた熊は四肢を縛り、皮は剥いで防寒具にして肉は自然の冷蔵庫である雪で保存し、冬の終わりのご馳走となる。

マタギは8~10人で狩りを行っていたのだが、鉄砲も時代を経ると進化を遂げ、高性能になっていったため、もっと少ない人数でも仕留められるようになったようだ。しかし、あくまでも生活のため、食べるために狩猟を行っていたのがマタギである。食べる分だけ狩りをするのであり、決して楽しんで狩りをするのとは大違いなのである。
もちろん熊以外にも鹿や兎なども狩りの対象だった。

川俣温泉にある「またぎの里」では、以前はご主人が狩った熊や鹿を料理して出していた(現在は取り寄せ)

熊、鹿、雉などの肉を炭火焼きで食べられる

忘れてはいけないマタギの生活と文化

「マタギ」の語源には諸説あるのだが、そのひとつにアイヌ語の「猟」を意味する「マタンギー」から来ているというものがある。
確かにマタギ言葉には、セタ、ワッカ、シカリなどアイヌ語らしいものが多いのも事実だ。ちなみに順番に犬、水、マタギの大将などのことを指している。

南会津町の檜枝岐村では、古くからマタギのことを山人(やもうど)と呼んでいた。地域ごとに呼び名が変わる場合もあるが、狩りをして生活を支えるという意味では同じだ。


鉄砲を使う以前は槍をはじめとしたさまざまな武器で熊を倒していたというマタギ。生活に密着しながら文化・技術を伝承してきた。
現在は専業のマタギは皆無に等しいが、マタギの知恵や技術、山の知識などを受け継いで祖先の暮らしを子孫に伝えていくため、冬は山に入って狩りをしている人たちもいる。狩りをして生活の糧に変えている。

しかし一方では熊の狩猟に規制がかかるという話もある。東北では今後、熊や鹿を狩って食べるということはできなくなりそうなのだ。
もしそうなったとしても、マタギがその地を開いて子孫を繁栄させてきたことは、決して忘れ去られてはいけないものだろう。

熊の串焼きは脂が多い(川俣温泉「またぎの里」)

熊肉が入った、珍しい「熊ラーメン」(川俣温泉「またぎの里」)