会津の歴史を楽しんだり、温泉やグルメを堪能しながら観光名所を巡る会津の観光情報誌

[2013年8月 更新]

白虎隊——若い命が散った会津の悲劇

福島県の会津エリアは17市町村で構成されている。会津では昔どんなことがあったの?
会津のなかの東西南北中央のエリアはそれぞれどんなところ? そんな疑問を解消!

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会津は福島県の西部、17市町村からなるエリアのことをいう。福島県を構成するのは、「会津」と「中通り」「浜通り」と呼ばれているエリアだ。
会津という地名で多くの人が連想するのは、「会津若松」「白虎隊」「猪苗代湖」といったところではないだろうか。
会津若松や猪苗代湖は地名だということがわかるが、白虎隊については、「聞いたことはあるが詳しくは知らない」という人も多いようだ。
会津を知るにあたり、簡単に説明しよう。

江戸時代、この地は会津藩の領地だった。
幕末には第9代藩主の松平容保(まつだいらかたもり)が京都守護職となり孝明天皇の信任を得ていたのだが、孝明天皇の死後は明治政府を樹立した薩摩藩と長州藩に旧幕府軍として敵視されてしまう。
1868年、戊辰戦争がはじまる。

会津鉄道会津線。冬は雪に包まれるエリア。雪景色を見ながらの温泉も気持ちいい

飯盛山に散った若き隊士たち

会津藩としては自分たちが賊軍とされてしまうことも青天の霹靂だったが、やがては新政府軍が会津に攻め込んできて、町は戦火に晒されることとなる。
このころ予備隊として組織されていたのが、16~17歳の少年たちによる白虎隊だ。劣勢だった会津藩は白虎隊も前線に投入するが、やはりそこでも苦戦となり、白虎隊は敗走を余儀なくされる。
飯盛山の中腹まで戻った白虎隊士たちが山の上から見た景色は守るべき若松城(鶴ヶ城)が燃えさかる様だった。
城が落ちたと思った若き隊士たちは、生き恥をさらすよりも死を選び、山中で20名が自刃してしまったのだった。

しかしこのとき鶴ヶ城は燃えていなかった。町に放たれた火によって煙に包まれていたのは確かだが、白虎隊はその煙を見て「城が燃えている」と勘違いしてしまったというのが定説になっていた。その後、隊士たちは城が落ちていないことはわかっていたという説も出てきている。
いずれにしろ、この山中で若い命が散っていったのは真実である。
その自刃の地である飯盛山には白虎隊士たちの墓がある。
そこから見た鶴ヶ城は、驚くほど小さい。白虎隊を偲んで墓参りをするのもいいだろう。

飯盛山の自刃の地には鶴ヶ城の方向 を見る少年の像もある

飯盛山には「少年武士慰霊碑」もあった。「14歳より17歳」と書かれている。悲劇

東西南北中央で分かれる会津17市町村
今回は南会津エリアを紹介

冬はスキー場が大賑わいの南会津町

廃藩置県では当初、会津藩が置かれた場所は若松県とされたが、その後合併を経て福島県となった。
会津17市町村のなかで「南会津」エリアに分類されるのが、南会津町、檜枝岐村、下郷町、只見町の4市町村だ。

南会津町は田島町、舘岩村、伊南村、南郷村が合併して2006年に誕生。
会津鉄道会津線は会津高原尾瀬口駅から会津長野駅までが含まれる。会津高原だいくらスキー場や会津高原たかつえスキー場があり、冬季はウインタースポーツを楽しむ老若男女がたくさん訪れる。
B級グルメとしても知られているソースカツ丼も名物のひとつだ。

会津高原たかつえスキー場

温泉や観光地が多い下郷町と檜枝岐村

会津鉄道会津線の養鱒公園駅から湯野上温泉駅までを含むのが、下郷町。
湯野上温泉という温泉町と塔のへつりや大内宿といった観光スポットがある。いずれも古い歴史を誇る観光地で、悠久の自然を感じることができる。

会津高原尾瀬口駅から会津バスで向かうのが檜枝岐村。狩りやそば作りなどで自給自足をして暮らしてきた人々の村だ。昔から受け継がれてきた山人(やもうど)料理が郷土料理として残っている。
尾瀬沼への玄関口ともなっており、おもに登山やハイキング目的で訪れる人が多い。村内にはミニ尾瀬公園などの観光スポットもある。

珍しい茅葺き屋根の駅、「湯野上温泉 駅」

江戸の町並みが残る、大内宿

各地にある郷土料理を楽しみたい

檜枝岐村の北側にある大きな只見町は豪雪地だ。冬は雪まつり、夏は鮎釣りなどが行われる。古くから伝わる郷土料理、お平(ひら)が食べられるのはここだけだ。


南会津だけを見ても、温泉町、ダムがあるほどの川、山に囲まれた村、豪雪地帯などなど、さまざまな顔を持つ会津の市町村。
観光もよし、温泉で癒されるもよし、エリアによってさまざまな郷土料理も楽しめる。

ゆっくりと時間をとってまわってみるのがいいだろう。

湯野上温泉や檜枝岐温泉など、ゆったり疲れを癒せる温泉地も多い